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教育トレンド

道徳教育 -低年齢化する荒れる心の指導を

 低年齢化に向かう荒れる心の指導を
 -道徳教育について

原爆投下から六十九年の月日が流れた。記念式典をNHKニュースで見ていたら、原爆の被爆体験者の語り部さんが出ていた。風花させない取り組みの一環として、広島原爆の碑の見学に来ている小中学生に原爆体験の語り部を何年にもわたってボランティアでしている人である。

しかし、近年、子どもたちの反応が良くないというのだ。特に今年は
「原爆を受けて生き残ったことを話した時、中学生の間から、『死に損ない』という言葉が浴びせられたのです」というものだった。語り部さんは、八十代の半ばである。
心無い言葉に怒りと落胆が見えていた。このようなことが実際にあるというのは今の時代の子どもたちの心の劇的な変化を現していると思う。
折しも、平成二十五年版「子ども・若者白書(旧子ども白書)」を読んだが、そこには校内暴力の発生件数は特に中学校で増加。警察が取り扱った校内暴力事件も増加しており,教師に対する暴力が約半数、とあった。
学校内における暴力行為の発生件数は,高校では横ばいである一方,小学校と中学校では増加しており,特に中学校での増加が顕著である。平成二十三(二〇一一)年度には,小学校で六千六百四十六件,中学校で三万五千四百十一件,高校で八千三百十二件となっている。
先ごろ、佐世保では高校一年生が同級生の女子生徒を殺害する事件がおこり、教育関係者は大きな衝撃を受けていることと推察をする。公開されている事象だけのことで、この事件のみを誇大に論じることは正確性を欠くこととなるので深入りはしないが、子どもの問題行動は、適切な指導、助言、によって適切な解決ができることも事実である。
少年法など刑法は将来に向かっての可塑可能性の高い未成年に成人とは異なる処遇を与える所以である。発達段階が未熟な未成年の教育につき、学校や家庭の役割の大きさを、改めて突きつけられる思いがする。
■子どもの育つ環境
義務教育から高等学校にかかる子どもは、急激な心身の発達の真っただ中にある。その年代年代において、心身への適切な指導、助言が必要なことは言うまでもない。家庭にあっては子どもを親の愛情を注ぎ育てる、学校という環境においては集団生活の中で鍛えられ、周囲との調和や健全な競争心の中で自己鍛錬することが求められる。が、その役割、指導が近年衰退している。
埼玉県で公立小学校教師を三十二年務めている内田久美子教諭に小学校での子どもの変化を聞いたところ次のような話をしてくれた。
「教師が保護者の協力を得られないことが増えたのです。保護者は教師を信頼してくれないことも多くなった。私が教諭になった三十五年前には教師を尊敬する気持ちはあったと思います。が今は、教師は尊敬の対象という位置づけがあまりされていないのではと感じることが多くなりました。

保護者たちは学歴も高くなるけいこうがありますし、昔私が教師になったころよりもかなり権利意識がつよい保護者となりました。時代もそうなっていますし。けんかした子どもがいたのので、親に話そうと家に家庭に電話したんですね、そうしたらこの前など『お話は分かりましたが、それは先生の指導次第じゃあないんですか。うちの子は自宅ではそんなことはしませんよ』というのです。特に、ここ近年、五年位のところにこういう親は顕著です。教師も、保護者に対して言葉使いも注意しなければならないから気を使いますし。

大体働いている母親が多いので、連絡事態が夜とかになってすぐに捕まらないってことも多いのです。
教師は自分の勤務時間以内に自分の自宅から電話します。仕方がないから夜に電話するんですが。あるお宅では、『◎◎小学校の三年二組の◎◎さんの担任です』と言ったら、『明日早いんで、急ぎじゃなかったら今日はお話聞けませんので』という返事なんです。ご自分の子どものことなのにと思いますが。

保護者と子どもの板挟みで学級経営がうまくいかずに精神を病んでしまう同僚もたくさんいます」
家庭の協力がないと学校だけでの教育は難しい。これは初等教育の場合は顕著なことで、家庭、学校、地域が一体となって子どもを見守る環境が希薄となってきていることが、大きな教育課題である。
■道徳教育の教科化
このような状況を踏まえ、子どもたちの心の指導として、道徳教育が見直しを図られている。教育再生の要点として発表された。
戦前は修身科という教科で道徳教育が行われてきたが、戦後、道徳教育は空白の時代を経た。昭和三十三年に『道徳の時間』が設置されたが、教科ではなかった。現在の道徳の時間は運動会の練習や遠足、運動会練習などの学校行事等に転用される例が多く、形骸化しているのが現状である。また、道徳事業といって、単にテレビ番組を見せて指導のまとめもせず、見せっぱなしであるような授業も実際にある。
今回の「道徳教育の教科化」について、一部では危惧する論調を見聞もする、いわく道徳心を評価するのかとか、国家忠誠心を植え付けるのか、といった不安である。
筆者は敢えて言うが、杞憂が先だっていないだろうか。現実に必要な教科指導も行わない事態こそ解消すべきではないだろうか。
初等中等教育時代には、発達過程に沿った規範、思いやり、生命倫理のあり方、社会道徳をきちんとした形で教育するべきであり、放置しては置けない問題であるはず。その意味で、今回、政府が教科化への指針をしたことは支持できるものである。
本来、家庭教育でその主導権をもつことが望まれるのが道徳的育て方、家庭教育である、他人への思いやり、言葉つかい、年長者への敬意、自身のきちんとした日常生活のあり方、なのだが、残念ながら戦後の若い保護者達はその資質が薄いのが事実である。
■ 教科としての道徳

今回、きちんとした指導のための教科書も作成するという。正式な教科化は平成三十年度以降となるが、学習指導要領が一部改訂されれば、早ければ二十七年度にも先行実施するという。文科省は、検定教科書ができるまでの道徳教材として、現在配布されている『心のノート』を全面改定し、『私たちの道徳』の名称で来年度から使用する方針も発表した。
心のノートよりページ数を五〇%増加して、新渡戸稲造や坂本龍馬等の偉人伝、イチローや高橋尚子さんら世界的アスリートのエピソード、いじめの未然防止につながる題材や日本の伝統文化に関する読み物を盛り込むということが発表されている。
理想を言えば、道徳の心は、なにも特別に教え込まなくても、学校の中のあらゆる場面で指導が可能なことである。国語でも社会でも、掃除の時間であっても可能なはずである。が、理想はそうであっても現実にはそれができずにきたからこそ、教科としての位置づけと指導が急がれるのである。
現在の大学での教員養成システムの改革、指導方法の見直しなどの現場課題はあるが、
これ以上の無策では子どもたちの心の荒廃に歯止めはかからないであろう。
(了)

(二〇一四年九月記)

 


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