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教育トレンド

少子化と教育再編の動き -私立大学再編の動き

■代々木ゼミの縮小

 日本の私立大学の半数近くが、定員割れで赤字経営の難に陥っているのは近年の傾向である。

さらに「二〇一八年問題」ということが、さらに、危機感を募らせている。それは横ばい状態にあった十八歳人口が、二千百十八年頃から再び大きく減少していくことから、「倒産する大学が相次ぐだろう」との懸念が広がっているからだ。

 二千十三年と二千十四年生まれの子どもが大学受験を迎えるのが二千三十一年。その年の十八歳人口は約一〇四万人と推定され、現在よりも一五万人ほど少ない。

 さて、そんな中、予備校、塾業界を震撼させたのが大手塾学校法人高宮学園運営の「代々木ゼミナール」が、規模縮小の報道だった。

同学校法人が全国に二十七ある教室を本部校(東京・代々木)、名古屋校(名古屋市)、大阪南校(大阪市)など七拠点のみ残し閉鎖すると発表した。

 同校は昭和三十二年創設と古く、駿台予備学校(東京)、河合塾(名古屋市)とともに「三大予備校」と呼ばれ、長年、受験界に大きな影響を及ぼしてきた。大学受験のための浪人市場をほぼ独占してきたといえる。他の二校にない特徴的は「私立大学向け授業」や「有名講師陣による大型教室での一斉授業」といった授業で業績を伸ばし、全国主要都市の駅前に教室を展開して勢いにのってきたのだ。

 しかし誰でもが入れる大学の増加、AO入試や推薦入試の増加という時代の要請に太刀打ちできなくなって大規模校舎を持ちこたえられなくなった。

 中でも一番の要因は代々木ゼミナールが得意とする浪人生の指導で、浪人生が減少したことだという。平成五年度の大学入学者のうち、浪人生と推計されるのは約十九万人だった。受験生全体の三割が浪人生という市場であったが、平成二十五年度の浪人生は七万六千人で、約十二%となった。

 特に代ゼミが得意としていた私立大学は、面接や論文などで評価するAO(アドミッション・オフィス)入試や推薦入試の合格枠を増やしてきた。加えて、長引く経済不況で、学費の安い国立大学や就職に強い理系大学に人気が集まるなどの変化が、経営を圧迫した。

大手予備校の事業規模縮小は、受験の体制、つまり大学のあり方が困難になったことの裏返しである。

■大学の危機

 教育界が十八歳人口減少の危機に瀕し、大学はあの手この手の生き残り策でしのいでいる。

 たとえば、若者に受けそうで志願者が増えそうな学校名称校名の変更やグローバル感のある学部の新設、多様な入試制度の導入等改変してきた。だが、これらの目先の対応が破綻するのは時間の問題だった。出生数は減少の一途である。

  先日、民間有識者による「日本創成会議」の分科会から二〇四〇年までに自治体の半数が将来的な「消滅」の危機にさらされるとの推計結果が公表された。地方では雇用の場が少なく、若い人は都会に流出、高齢化が進み、限界集落ならぬ消滅集落が増加するという内容だ。そういった中で、地方の国公立大学も、無関係で居続けられるとは言い難い。

地元への進学希望者の受け皿となってきた国公立大学の場合、地域の受験生の激減は死活問題となる。

■学力テストにみる基礎力

ここで先ごろ、平成二十六年度の全国学力テストの結果が公表された結果をみてみよう。

 日本の義務教育の指標として見るべきものだ。この上位県はというと、全国平均約六五%のところ、一位は秋田県で七一.八%、二位が福井県七〇.五% 、三位が石川県六九.一%、四位が 富山県で六八.六%、五 位が青森県で六七.八%、六位が東京都で六七.二% となっている。

 勉学で目立つような表日本の都道府県ではなく、裏日本の上位が目立つ。

筆者はこの現象を秋田県での指導につき調べてみた。すると、奇をてらったことはなく、本当に基本的な教育実践を地道につづけていることが実感できるようなことが多かった。

 

■生活指導の確かさ-学力テスト上位秋田の教育

 秋田県では、学力向上のための実践はもちろんであるが、筆者が感心をしたのは、児童生徒に関する生活指導の確かさである。同県では学力調査と同時に、児童生徒への生活面での調査も実施している。以下に内容一部を概観するがあまりにも率直で基本的な内容に驚かされる。

これらに質問は、すべて全国平均を六〇とすると秋田県では七〇とか八〇とかプラスとなっている内容だ。「学校で将来つきたい夢につき指導をしてくれたか」、の質問では、平均では七〇であるが、秋田県ではなんと二三プラスされ九五となっていた。

つまり、総合するに基本的に家庭できちんとした早寝早起き、食事をしっかりとって、学校では学習が楽しく、教師は子供を認めて、意欲を伸ばす指導を地道にしている、という当たり前のことが当たり前になされているという実態が見えるのである。

<質問内容抜粋>

・毎日、同じくらいの時刻に寝ていますか、おきていますか。

・朝食を毎日食べていますか。

・ものごとを最後までやりとげて、うれしかったことがありますか。

・学校の授業時間以外に、普段(月曜日から金曜日)1日あたりどれくらいの時間、勉強をしますか。

・家で自分で計画を立てて勉強していますか。

・家で学校の授業の復習をしていますか。

・自分の考えを発表する機会が与えられていたと思いますか。

・話し合う活動を通じて、自分の考えを深めたり、広げたりすることができていると思いますか。

・国語の授業で目的に応じて資料を読み、自分の考えを話したり、書いたりしていますか。

・算数・数学の授業で学習したことを普段の生活の中で活用できないか考えますか。                      

・自分には、よいところがあると思いますか。

  ■教育で育てること、家庭と学校

これらの実践でわかることは、学校での義務教育時代の大切さと家庭の躾の大切さである。

筆者は常に思っているが、自力で学問を追及できるのは、高等教育に入ってからである。それまでの期間、すなわち義務教育の年代は、基礎的な力を貯蓄し、育てる時期である。

自分で語れる言葉もないままに、周囲から単に「創造せよ」『自由にやりなさい』と育つのは「教育している」とは言えない。人は、言葉で考え、自分の基礎を作るほかない。だから、自身の言葉を獲得する期間の義務教育時代には反復練習や基礎読書が必須なのである。

秋田県では、学校の指導の復習をする子どもは全国平均よりも三六も多く、九〇以上が家庭学習をきちんとしているのがわかった。この連綿が、相乗効果の学力アップに役立つ。

 そういった基礎、基本が出きている児童、生徒は、高校から大学に行く際に伸びる基礎ができている。

一八歳ころの時期に、「何をしたらよいかわからない」と無目的に生きるとか、社会常識がない、勉学の意欲がない大学生等がたくさんいるのは、基礎的時期に何も得てこなかったことの証に他ならない。

大学生になっても高校生までの基本が出きておらず大学の質の低下を招き、全体としての学問の低下が引き起こされる。

文科省発表によると、七月現在で申請のある来年四月開学予定の大学は五大学だという。今でさえ、大学が多すぎるという中、大学を新設するという事態も納得はいかないが、あくまで開校すべき命題があってのことだろうと推察をしたい。

既存の教育構造を変革することは難しいが、大学にあっては学問追及の先進的役割を全うすべきだろうし、義務教育にあっては基礎学力を醸成するという基礎基本を全うすることが、生き抜くためには重要なのではなかろうか。

今一度、学校の真の立場、家庭教育の在り方を見直していくべき時だと心から思う。

(了)

(2014年10月記)

 


 


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